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【靴職人】になった理由


【靴職人】になった理由

靴工房マルエの【靴職人】

株式会社マルエの代表取締役の富澤文雄です。


株式会社マルエは、皆様のおかげで

2022年 創立50周年の節目をむかえました。



当社は、私が生まれた年、1967年に

私の父、富澤義彦が 靴の街神戸市長田区

オニツカタイガーの下請けの加工場を開いたのが始まりです。


そして、日に2500足のアシックスのジョギングシューズを

生産する靴メーカーに成長し

1972年5月26日

現在の株式会社マルエとなり、

今年で、50年となります。


父は、今年で、90歳。健在! 

ありがたいことです。


母も、縫製作業を担っていたこともあり

私は、靴づくりの工場の中で、育ちました。


50人以上の従業員の方々に

かわいがっていただいて、大きくなりました。


しかし、1985年以降

アシックスの生産拠点が中国に移り

当社は、事業継続のため、ファッションシューズの生産へ移行。

このころ、私は、ファッションシューズの企画として入社しました。


そのころの私が企画していたのは、ファッション性の高いブランドの靴。

ここで、得意先から、求められたことは、デザイン重視で安価であること。

今の私の靴づくりでは、考えらないことですが

見た目重視の大量生産の靴づくりです。


でも、このころの経験が他のオーダーシューズ店では

揃えることができない資材調達することにつながっていますし

多種の製靴機械がある工房にすることができたのです。


そして、1995年 神戸は、阪神淡路大震災で、壊滅しました。

当社も。本社家屋が倒壊。

幸いにも、みんな無事でした、

この時、父は。全員をやむをえず解雇し、会社をたたむ決心をしたのですが

取引先の支援があり、無傷だった加古川の第二工場を本社として、

規模を縮小して、多品種少量生産の靴メーカーとして 再スタートしました。


震災当時は、みんな無事でしたが 

妻が震災の混乱の中、交通事故に遭い、右下肢不全麻痺という重い後遺症を

背負うことになりました。右足に麻痺があるので、杖を使わないと歩けない状態で

いままで履いていた靴が全く履けなくなりました


当然ですが靴メーカーなので靴は沢山あり、あれこれと履いてみるのですが

麻痺のある妻には、まったくダメ。


履けても すぐに脱げてしまうのです。

それでなくても、靴のサイズが22と小さいので、

いつも大きな靴を履いていたのですから、脱げてしまいます、


この時まで ”カワイイ” ”かっこいい” ”安い” ”売れる” が イイと

思っていましたが、役立たずでした。


靴屋なのに・・・・・・・・・靴がない・・・・・・・

当時は足に合わせて作ることもできずに、市販品の靴を無理やり履いていました。


息子が小学校の入学式では「スーツ着るからパンプスを履きたい」と

言い出しました。


ここが、靴職人の始まりでした。

どうやったら麻痺した足でヒールパンプスが履けるか・・・


【靴職人】になった理由

甲部分で完全に固定できる靴のデザインで、踵でしっかり支えられるよう

太目のヒールで硬い芯を入れました。

事故前までは9センチ以上の高さのハイヒールを履くこともあったので

持ち前の筋力でなんとか短時間ですが履いて歩ける靴ができました。


たまに履く靴は、短時間なのでいいのですが、長時間履く普段履きはまだなく

市販の靴で、なんとかごまかしていました。

まあ 「若さ」と子育て中の気力で、なんとかなっていました。


市販靴だと自身の筋肉で姿勢制御するため、筋肉の張りが常にあり体がパンパンに

整体院でほぐしてもらうの繰り返しでした。


なんとか、身体に障がいがあっても、自然なバランスで歩行できる靴ができないかと

思い、妻の足と身体に合わせ作ってみようと

身体の解剖学から、夫婦で、勉強しはじめました。


しかし、それまでの靴づくりは”カワイイ””かっこいい””安い””作り易い”など

売れる靴づくりであり、まったく個人個人の足など気にしてませんでしたので

足と身体に合わせるとは?????

本当にわからなくて、試行錯誤の日々でした。


何足も何足も作っては破棄しました。いくら身体に障がいがあっても、

女性なので、”オシャレ”に歩けるようにと要望にも苦戦しました。


右足に麻痺があるので、足の外側部のみで歩行するので、なんとかまっすぐに立てるように

するには、靴も大事ですが、インソールが重要だと知りました。


【靴職人】になった理由

右足の外足側をしっかりと支え、着地時に地面に対して垂直に立てるようにしました。


靴のデザインはファッションなので”色””デザイン”が好みになりますが、

インソールは靴の中にあって、どんな靴を履いても足裏は同じなので

好みに関係なく使用できます。

足首をしっかりと支えるデザインにインソールをいれました


それから、10年試行錯誤が続きました。

【靴職人】になった理由

冬はブーツ

【靴職人】になった理由

けれど外出時はこの靴を履けば、デザインとインソールで歩けるのですが

一日の中で一番長い時間を過ごす家の中は歩きにくい状態でした。

そこでインソールを使えてしっかりと足を支え、脱ぎ履きが楽な、室内は履きをつくり

家の中でも楽に歩いています。


【靴職人】になった理由

硬い革で作っていますので足をしっかり支えます。


 2000年 靴メーカの息子は、靴職人になりました。


2005年に靴工房マルエをオープンし、身体に障がいがある方や、靴と足にお困りの方に

足と身体に合わせた靴づくりをし、今まで履けなかった靴を笑顔で履いて

笑顔になっていただけることをエネルギーに、靴づくりをしています。


 

2020年 靴職人の父親と、身体に不自由がある母親が営む靴工房で育った息子は、

国家試験を経て、義肢装具士になりました。



 さらに、靴職人一家には、試練がつづきます。続きは、またの機会に、



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